雑司ヶ谷旧宣教師館(マッケーレブ邸)|雑司ヶ谷

「鬼子母神前」電停からのさんぽ旅。2020年豊島区に転居して間もなくの間に訪れたのが雑司ヶ谷旧宣教師館(マッケーレブ邸)です。当時の世間の騒動とともに、遠方に足を運べないこともあり、区内のどこかにステキなスポットがないかと探っていた記憶があります。さくらトラム(都電荒川線)の「雑司ヶ谷」電停から人気のない雑司ヶ谷霊園を抜けていくのもなんだか心もとない気持ちになり、となりの「鬼子母神前」電停から住宅地を抜けて訪れました。

まだまだ都市開発の手が届かない雑司ヶ谷の町は、木造住宅やアパートも多く、細く蛇行した道にも、途中目にする商店にも歴史を感じます。何軒か商店が並んでいた「雑二ストアー」(豊島区雑司が谷2丁目)がその代表格で、出合った瞬間、驚くとともに、脳内タイムトリップ。まるで小学生だった頃の自分がその場で見ていたように感じたことが忘れられません。

さらに、「赤丸ベーカリー」さん横の細く曲がりくねった道を登りきると、キレイに舗装されたタイルの小路。その奥右手に門が見えたら「雑司ヶ谷旧宣教師館」です。

豊島区内に現存する最古の木造洋館である「雑司ヶ谷旧宣教師館」は、明治40年築で、アメリカ人宣教師であったマッケーレブ氏の邸宅。都内でも数少ない明治時代の宣教師館として貴重な建物です。カーペンターゴシック様式のデザインを基に、日本人棟梁がマッケーレブと相談しながら施工した建物には、竹を用いた格天井(ごうてんじょう)などの和風建築の要素も取り入れられています。建物内に入ると、その見た目の印象よりも遥かに大きく、学び舎であったことを感じられます。

1941年にマッケーレブが離日したあと、宣教師館は個人所有となり、1982年に売却された折、住民の保存運動により豊島区が購入し現在に至っています。マッケーレブは戦後、高齢のため日本に戻ることはなく、昭和28年92歳で他界されたそうです。

そっと訪れて、静かに過ごす雑司ヶ谷。路地裏にひっそりと佇みながら、当時の気配が消えゆく町の中で残されていくもの。そんな強く生きる姿勢を感じたものです。


◆雑司ヶ谷旧宣教師館(マッケーレブ邸)
所在地:東京都豊島区雑司が谷1丁目25−5
開館時間:9:00~16:30
休館日:毎週月曜日、毎月第3日曜日、国民の祝日の翌日(翌日が日曜日の場合は翌火曜日)、年末年始
入館料:無料

来館・撮影マナーについてご確認ください▶


テキスト&写真:こばやしかをる

さんぽ旅 ウォーカブルシティ豊島

写真家 こばやしかをるが綴る、背伸びをしない身近なお出かけ「さんぽ旅」。「山手線北部を旅しよう」という企画から、地元豊島区内をよく歩くようになりました。ウォーカブル(語源 walk +‎ able)=歩きやすい、歩きたくなる、歩くのが楽しい。そんな街であることを実感します。

0コメント

  • 1000 / 1000